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ごあいさつ

ごあいさつ:水子供養

供養 供養2

この度は長松寺のHPをご覧頂き有難うございます。

利便性と豊かさをひたすら追い求めていた時代から、表現しようの無い不安感や閉塞感に包まれた現代へと、我々を取り巻く社会環境や風潮は様々に変化してきました。その間、価値観の多様化や独自性の確立が盛んに説かれてきました。
しかしながら、それらは今現在我々が直面している諸問題への解答には、なかなか導いてくれないようです。
私たちには、どんなに時を経ようと何時の時代にも、年齢や性別に関係なく一人ひとりが共通に持っている大切なものがあるはずです。それを発見できたなら、どんなに素晴らしいことでしょう。

当山は小体ながら、緑豊かな境内は四季を通して様々な表情を見ることが出来ます。立地は東京メトロ妙典駅より徒歩7分、京葉道路市川ICより車で5分、湾岸道路千鳥町ICより車で10分という利便性を有します。

是非一度お越しいただけますよう、御案内申し上げます。皆様と素晴らしい御法縁を結べますことを祈念致します。

長松寺住職
供養3

長松寺について

長松寺は山号を塩場山(エンジョウザン)という。京都紫野大徳寺の末寺で、渓山和尚により天文年間(1532−1555年)に開山された。正確な年は不明であるが、渓山和尚の寂年が天文二十三年(1554年)であることから、それ以前の開山であることがうかがえる。
開基は小田原北条家家臣・松原淡路守重之である。淡路守は千葉県市川市行徳・大和田・平田あたりまでの領主であったという。
当時の行徳一帯は塩場(塩田)であり、山号はこれに由来する。境内には薬師如来・塩釜明神を祀り、塩焼き百姓たちの信仰を集めていたという。
元文五年(1740年)に書かれた資料によると境内地は四反二畝十六歩。末寺は四ヶ寺あり、今日の千葉県船橋市丸山町にも存在した。
行徳札所三十三ヶ寺の三番であり、巡礼の始まりは元禄三年(1690年)とその歴史も古い。現在、長松寺には歴史的な資料は残されていないが(塩釜明神も現存せず)、最近スコットランド王立博物館に当寺より流出した鋳物の仏像が展示されていることが判明した。
江戸から明治に移る時代が、長松寺にとっても激動の時代であったことがうかがえる。

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